新あんこのログ

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脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

リハビリに期限はありません。30年放置した癖も直せるのです。

リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)、すなわち

「再び適した状態になること」

(引用:wikipedia)

 

再びという意味で「re」が付いていますが、

 

要は「適した状態」にすること。治すことではありません。

 

 

※以下すべて個人の見解です。鵜呑みにしないでくださいね。

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 書いていたらまとまりがなくなったので、先に言いたいことを書いておきます。

 

 リハビリしたいのは、意識せずできるはずの自然な動き。

 それは意識していないだけあって、いろいろな神経や筋肉が複雑に使われ精密に協調している高度な動き。

 治すのではなく、それぞれの作業、行動をするのに適した状態にすること。

 リハビリはやりづらくても地道に続ける根気と、時間が必要。

 リハビリは、自分の症状に合う療法を行う療法士の指導があるうえでの、本人の努力次第。

 発症後どれくらい経っているか、どれくらい重いかで、望める成果の推測はできない。

 

 今の医療では、どれほど努力しても改善しないものもある。

 しかし、医療が進歩すれば、今不可能なことが、リハビリではなく、治療→完治する可能性もある。

 

 ※高次脳機能障害はまた別になってくるので、ここでは身体部分のリハビリについて語ってます。

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……というあたりを、自分の考え・経験ソースで長々書いております↓

興味があったら、下も読み流してください。

 

 

『リハビリ』は、『楽器のお稽古』と『職人技』と通じるもの

専門の信頼のおけるソースや根拠を列挙して「こうだから、ゆえに」とは言えないのですが、私の少ない見地から思っています。

 

楽器のお稽古では、繰り返し練習が必要になります。

私の経験のある楽器としてピアノを例にとりますが、とにかく繰り返し練習。

実は音楽はいろいろな法則の中で作られていて、それを意識する必要もありますし、楽譜を分析し(アナリーゼ)、それを音にする必要もありますが、子供のお稽古では、ほとんどはそこまでしません。

大人やプロでも、まずその曲を弾けるようになるためには繰り返し弾いて、手や体で覚えます。

 

論理的なことから入る人もいますが、たいていは繰り返し練習の譜読み(楽譜どおり弾く)が先です。

もっと言えば、論理的なことは全く考えない人もいますし、むしろ、ある程度専門的にやっている人以外は、論理的なことは意識していません。

譜読みが出来たらほぼ完成で、あとは自分なりの演奏で楽しむ人が多いでしょう。

 

☆綺麗なウォーキングする人もいれば、歩き方に癖がある人など色々いますが、すべて「歩行できている」、ということと同じです。

 

弾けるようになるために、始めは一音ずつ意識して楽譜を確認して弾いています。

だんだん音は覚えてくるのですが、間違えて打鍵したりします。

間違えれば正しく直して打鍵し、また繰り返し。弾きづらいところだけ抜き出して、何度も弾いてフィジカルに叩きこんだりもします。

こうして繰り返し練習をするたびに、自然と曲を覚え、手指も勝手に動くようになっていきます。

始めは楽譜を見ながらでもたどたどしく間違えながらだった曲が、楽譜を読まずとも”意識せずに”、”自然に”弾けるようになるのです。 

 

☆這えるようになり、つかまり立ちして、よたよた歩いて、走れるようになる赤ちゃんや幼児は、なにも難しいことは考えていないし特訓していない。無意識にここまでできていますが、段階を踏んで、繰り返し練習しているようなものと一緒。

 

 

リハビリの必要な後遺症を持っている人間にとって、リハビリしようと思っていることは、元は意識せず自然に出来ていたことばかりです。

健常な人が健常に動いているのは、論理的に難しく分析して、高度なことをやろうと思っているわけではありませんよね。

ただし、後遺症によって、一部の機能は使えなくなってしまっているわけですから、練習のようには行きません。

そこを考えるのは専門家の療法士さんで、その指導に従ってリハビリを受ける&するのが私たちです。

「新たに正しく動くように」訓練していくという感じだと思っています。

 

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そして、よりよい演奏をするための一つとして、癖のある弾き方を修正することもあります。

私は40を過ぎて30年近く離れていたお稽古を再開しました。そのとき、子供時代に付いた癖がありました。

「癖を直すことはできない。癖の上に”正しい癖を上書きする”んだよ。数か月で出来ることじゃない。でも常に意識して。必ず正しいフォームになるから」

と、私の恩師はおっしゃいました。

癖を取るのは難しいです。

後遺症でできなくなったことを、リハビリで、できるように機能訓練する(治すではありません)難しさと、基本は同じです。

始めは出来ないけど、やりづらいけど、正しいフォームを意識する。なかなか身に付かないけど、それでも正しいフォームを意識し続ける。

1年以上経った頃、気付けば癖が治っていました。「気付けば」です。いつの間にか治っていたのです。出来るだけ意識していたはずが、無意識に出来るようになっていました。

 

これを、もっと正しく言うと「癖が治った」わけではなく「新しい癖を身に着けた(上書きした)」んです。

これが、後遺症で機能しなくなっていた状態を、リハビリ訓練によって、できるようにしたこと、と同じようなことだと思っています。

 

今、あの癖があった頃のフォームで弾け、と言われても出来ません。

治したのは40代のころ。一般的には「もう、のびしろがない」年代のはずです。

 

それでも子供の頃についた癖を30年放置しても、治せるのです。

 

職人さんの職人技もそうだと思います。

いろいろな職業があり、職人さんがいます。好きでその仕事を選んだ人、後継ぎでその道に入った人、仕事内容をこなしていくうちに、自然に職人技になっていた人もいます。

職人技を持っている職人さんの中に「この技にかけては、子供の頃から神童のような天才ぶりを発揮していたから、この職人になった」という人は、ほとんどいないのではないでしょうか?

特別な才能があるからと、一般人にはできない職人技を会得したわけではなく、仕事をたくさんこなしていくうちに慣れて、あるいは必要に迫られて、気付けばすごい職人技を”無意識に”出来るようになっていたのだと思います。

 

 

楽器の演奏や職人技も「適した状態」にした結果、出来るようになるものです。

(もちろん、天賦の才能を持つ人もいますが)

 

才能とか論理の問題ではなく、誰でも、いつでも、「適した状態」になるための「的確な方法」を実践すれば、出来るのだと思います。(加齢による優劣はありますが)

リハビリはもちろん早い段階から適切に行った方がいいのは無論ですが、

 

発症から時間が経っても、ある程度歳をとっていても、のびしろはない、ということはないと思っています。

 

どんなにやっても、曲の完成度が低い人、職人とはいえ、目を見張るほどの技を持たない人もたくさんいます。

でも、まったくやっていない人は、その曲を弾くことすら出来ませんし、職人さんのような技は出来ません。

 

介護保険制度ができてから、まだそれほど経っていません。

介護保険制度ができる前に脳疾患を発症し、ずっと車いすだった人が、訪問リハやデイサービス(PTがいる)での訓練をはじめて半年で、20年ほど経っているのに、杖で歩けるようになりました。

 

未だリハビリで回復するのは半年まで、という医療関係者もいるようですが、そんなことはないと思います。

もちろん、後遺症ですからもう一生今より良くならないものもあると思います。でも、すべてが、その限りではないと思っています。

私自身含め、周囲でたくさん、半年以上経っても、まだまだ改善していっている様子を、今も見ています。

 

 

だから諦めないでください。

焦らないでください。

 

ピアノを習い始めてショパンの幻想即興曲を弾くには、平均的に練習する平均的な才能を持つ人でおよそ10年かかります。

だから、焦らないでください。

 

 

でも、一緒懸命やっても、間違ったやり方を熱心にやれば、それは悪い癖になったり、別の場所に負担をかけたり、成果が出なかったり。

成果の度合いや、成果が出るまでの時間には個人差があるでしょうが、正しいリハビリを続けていれば、改善する(あるいは、改善し続けると思うのです。

続ける療法が的確であればさらに成果は上がります。

そして、その成果の度合いは、療法士さん個人の姿勢や考え方、方法に大きな影響を受けると思います。

 

リハビリを必要とする人間には、信頼できる療法士さんに指導してもらうことが、とても大切だと思います。

この先の人生左右されるとすら思っています。

療法士さんそれぞれに、主とする手技や療法の系統が割と違います(病院内では同じ方法で統一しているかもしれませんが)

療法士さんや療法に関しては、遠慮していられない。貪欲にいこうと思っています。

できるかぎり、通常の動きを基本に、それに近づける形で指導してくださる療法士さんを、私は信頼します。

 

「手が震えるなら手首におもりを付けましょう」とか「腰が動揺するなら、サポーターで固めましょう」という対処をしようとされると、私は拒否します。

100点じゃなくていい。50点でもいいから補助具を使わず、元の動きを取り戻したいのでそう思うのですが、これはあくまで私の好みであって、100点を優先する(ために対処療法をする)のも、もちろんありだと思います。

 

関連記事

「利き手交換」と言わないで

 

以上、五年以上の障害者歴がある私の個人的な見解です。もちろん、専門家ではないので、間違ったことも言っているかもしれません。

  • 後遺症のリハビリは本人がやらなきゃ、できるようになるわけがない。
  • リハビリが効かない後遺症もある。
  • 改善が見込めることのリハビリなら、期限はないから焦る必要はない。
  • 他の人に多大な効果をもたらした、いいように見えるリハビリが、必ずしも自分に合っているものとは限らない。

この辺は、身をもって感じていることです。ご参考になれば幸いです。

 

 

*ちょっとそもそもな話*

リハビリを正しく地道に頑張るのは大切なことですが、現在の医療、リハビリでは、全く改善しないものも、もちろんあります。

それを受容することは、精神的にとても大事なことだと思います。

いつかこのことも書きたいと思っていますが、障害受容できない人は、自ら障害者を差別してるのかなと思っています。

 

 

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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。

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