回復期病院①転院初日にお茶ゼリー\(^o^)/
回復期病院へは、回復期へ入院できるぎりぎり2ヶ月めに転院しました。
急性期病院では1ヶ月半は動けなかったので、探し始めたのは期限の3週間を切ってから、ほんとにギリギリの日です。
エレベーターホールで多数の看護師さんに感動的に見送られる中、迎えに来てくれた介護タクシーの運転士さんが押す車いすでタクシーに向かいました。
車いすのまま乗る介護タクシーは初めてでしたが、ぶっちゃけ乗り心地は、たいへん悪いです。
走行用につくられた車のシートではなく、車いすですから、揺れはダイレクトに伝わります。
それでも押してもらっているので、文句は言いづらい。皆様のご家族も我慢しているかもしれません。
ご家族の車いすを押してくださっている方は、経験がないなら一度乗ってみて、素人に押してもらってみてください。どういうことに気を付けないと危ないとか、乗っている人が不快かなど、わかりやすいと思います。
急性期病院から回復期病院は1時間ちょっとの道のり、片道9000円くらい。
料金自体は、普通タクシーと一緒ですが、介護加算があるので、そういう部分で通常のタクシーよりは高いです。
途中、見知った道も走りました。家に帰るのではなく、刑務所から刑務所へ護送される気分でした。
まだ唾液を飲み込めていなかったので、ひざには箱ティッシュと、それを捨てるゴミ袋。
回復期病院は閑静な住宅地にありました。
道路に面して入口があり、中規模の賃貸マンションのような感じ。
中庭は駐車場だけで患者が憩える庭はありません。売店もありません。
中に入って受付をしてしばらくすると看護師さんが来て、まず車いすのまま体重測定。
部屋に付くと、看護師さんがわらわら寄ってきて、経管チューブの交換、入院患者識別の「手錠」と呼んでいる名前入りのブレスレットをされたり、そうこうしているうちに担当医が来て問診です。
え? カルテ? 手書き??
古い小さな診療所でもない限り、電子カルテの時代だと思っていたのに手書き。びっくり。
これは、なにかと手間かかってるんだろうなあ、と元会社員の端くれとしては思いました。
一通りの処置や問診が終わって部屋を見まわすと、すべてのベッドがカーテンを最大限開いています。
急性期病院では閉じて生活するのが普通だったので「えー(根は人見知り)」と思いましたが、空気を読んで私も開け放ちました。
急性期病院と違って廊下では患者さんがリハビリしていたり自主トレしていたり、看護師さんも元気な声で動き回ってがやがやしていました。
急性期病院の看護師さんと、根本的に違うと思いました。まあ、命に関わりそうな人はまずいないので、そういう緊張感はないのでしょう。
少し休むと次々にPT、OT、STさんがやってきました。
PTさんとOTさんがADLをチェックして、ラックにADL票を貼っていく。
「トイレ:自立」「歩行:ピックアップ」とかですね。
「トイレ一人で行ってました?」
と、PTさんに聞かれ
「はい。車いす移乗できるし、立てるので大丈夫です」
と、嘘をつきました(こら)
いや、入院中、トイレのたび看護師さん呼ばなければいけないというのは地味にストレスです。
行きたくても散々待たされることもありますし。
好きな時に、行きたいと思ったらいつでも行きたかったし、急性期でも、移乗や立つくらいはできるのに、と思いながらナースコールを押していました。
その後STさんが来て、いきなりゼリー実験です。
私的には待ちに待ったゼリーです。
ゼリーのほうが絶対嚥下しやすいはずと思ってましたから。
いきなり当日から、一応固形物らしきものを2ヶ月ぶりくらいに口に入れられて嬉しかったあ。
マグカップいっぱいのゼリーで、スプーンにすくって食べさせてくれます。
やっぱり飲み込みやすい。飲み込むたびに10数え、口を大きく開けて飲み込みやすくするを10回くらい繰り返しました。
だんだん飲み込みづらくなってゲホゲホして、飲み込めないゼリーが出てきたりしましたが「うん。大丈夫そうだね。今は飲み込む力も弱ってるし経管やカニューレが入ってるから、余計飲み込みづらいんだよ」と、その日はそれで終わりになりました。
左の喉や弁(食道と気管のどちらかを閉める)の開閉が悪いからと、左を向かされ、喉を閉じ、薄くとろみをつけた水をシリンダーから1CC、2CC入れられていてもうまくできなかったのが、いきなりゼリーで10口も食べられたんですよ。
ほんと、やり方もあるよなあ、と思います。
ちなみに、ここのお茶ゼリーは、普通にとっても美味しく作ってくれていました。ゼラチンだけじゃなく舌触りを良くするためのほかの物も入れているらしく、ベースは麦茶ですが、少しだけお砂糖も入っていて、ほんと美味しかったです。
クラッシュしてくれているので、退院頃は、スプーンも使わず、そのまま飲んでました。
一通りのイベントが終わりやることがなくなったので窓から外を眺めてみました。
周囲は低層の戸建ばかりで遠くまでよく見えます。目の前の家は敷地が巨大でこの病院より広く、敷地内に5戸くらい家がありました。この辺の地主さんの家だそうで。羨ましい。
夕飯時になって、私は相変わらずの流動食。急性期病院とは銘柄が違いますが、ネットでよく見かけるのでこっちの方がメジャーかもしれない。
まあ、どちらにせよ味は分からないんですが。
まだ寝る時の酸素吸入や、痰を取るカテーテルはしていましたので後ろに写っていますね。
箱ティッシュは、相変わらず1日1箱使っていました。
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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。
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