新あんこのログ

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脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

残念な思いやり(デイサービス)

デイサービスでは楽しくなるサービスや気遣い、思いやりも一生懸命考えてくれます。

 

私の通っているデイサービスはリハビリ特化型で、一般的なデイサービスと違い、運動や機能改善の個別メニューが主体です.

休憩時間に飲むお茶はドリンクバー形式にしていて、多種類の中から好きに選べたり、クリスマスにはクリスマス会をしたり、いろいろ試行を凝らして、利用者さんが少しでも楽しめるようにしています。

 

「どうしたら、楽しんでくれるかな? 喜んでくれるかな?」

というものを真剣に考えているようですし、利用者さんが喜べば、スタッフにとっても、喜びになっているでみたいです。

 

福祉サービスとはいえ商売ですから、サービスを良くして利用者離れを防ぐ、評判を良くしてさらに利用者を獲得するために、付加価値の「喜び」や「楽しみ」を考えて提供するのが根本にあるのは当然でしょうが、それだけでは量れない、スタッフの利用者に対する人情的な思いやりから「楽しんでもらいたい」という気持ちも、本当にあるように感じます。

そんなスタッフさんたちです。

 

しかし、それがちょっと残念なサービスになっているなあ、と思うことがあります。

 

クリスマスにはクリスマス会をしました。

施設内はクリスマスデコレーションがされ、スタッフはサンタ服やクリスマスらしい衣装を身につけていました。

普段は利用者それぞれ、運動の合間に20分の休憩を挟むのですが、その日は全員揃って休憩を最後にして、20分(だけの)のクリスマス会が始まりました。

 

みんなにシャンメリーとお菓子を配布します。

 

利「これなに?」

ス「シャンメリーですよ。シャンパンのアルコールが入ってないジュースみたいなものです」

利「シャンメリー? そう」

 

そして、サンタ帽子を持ってきて利用者さんたちに被ってもらいます。

 

利①「えー! 私、いやよ(苦笑) ほら、〇〇さん、被ったら?」

利②「いやいやいや! …××さん(手渡す)」

利③「……(仕方ない顔して被る)」 

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その姿で乾杯して、歌を歌おうと歌詞カードを配ります。

フォントサイズ11くらいの大きさの文字。

あちこちの利用者さんが「見えない」と訴えます。

高齢者にこのサイズでは、見えないのです。

ちなみに老眼&乱視の私も、裸眼ではほとんど見えません。

 

スタッフさんも、そこで字が小さすぎたと気付いたようですが、とはいえ「20分」しかないですから、「見えないかもしれませんが、よく知っているクリスマスソングですから、みんなで歌いましょう!」と、CDをかけます。

 

流れてきた曲は、たしかに聞いたことはありますが、誰でも知っている曲ではありません。

 

みんなポカーン。

 

やっぱり知らないのです。平成クリスマスソングとしては定番なのでしょうか?

 

高度経済成長期に育った私が「誰でも知っている」と思うのは「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「きよしこの夜」あたりです。

そういう曲ではありませんでした。

そして、デイサービスの利用者の中心世代は70代から80代です。

団塊から、それよりも古い世代です。

子供や孫に付き合ってやることはあったかもしれませんが、そもそもクリスマス会に、それほど馴染みはないのではないでしょうか?

 

配られたお菓子を、その場で食べる人は少なかったです。

20分で食べきるには大きいお菓子だったので、みんな持って帰りました。

私はそんなお菓子をいくつかもらいました。

「若い人(40代、50代は若者扱いです)なら、こういうの好きでしょ。持って帰って」と。

 

知らないシャンメリーという飲み物

被り物(昔の人はそういうノリはしないよー)

文字の小さな歌詞カード

知らないクリスマスソングの斉唱

食べきれない特別サービスのお菓子

 

そして、20分だけの急かされるクリスマス会

 

「利用者さんが戸惑いながらスタッフさんのノリに付き合っている」クリスマス会で、まあ、時間も予算も限られてるし、楽しませたい気持ちは伝わってきたし、それはありがたいし、だけど……

うーん、なんだろ? なんていうか……

 

「残念な夫。」というテレビドラマがあります。

仕事もでき、人望も厚く、人に親切、家庭では育児にも協力的で、妻にも思いやりがある夫です。

夫は妻を喜ばせようと、仕事後にこっそり理想の家のジオラマを作っていました。

それを記念日にサプライズでプレゼントし、妻の願っていた理想も反映させたことを説明します。

しかしそのとき妻は、それまでに溜まった不満が爆発して叫ぶのです。

「こんなの作る時間があるなら、もっと早く帰ってきて、赤ちゃんをお風呂に入れてほしかった!」

夫の「心からの思いやり」は、「妻が欲しい思いやり」ではなかったのです。

このジオラマだけでなく、普段の家事・育児の協力のしかたも。

相手の喜ぶことや得になることを推し量って行動することは、必ずしも相手が望んでいる行為であるとは限りません。

心から思いやった行為を責めるわけにはいかないし、かといって、一から十まで要望するようなこともない。

そんなところが「 残 念 な 」になるのだろうと思います。

 

思いやりは、相手の意にそぐわないこともあるんですね。でも、思いやってくれた気持ちはありがたいし。

うーーーん……

やっぱり「 残 念 な 」と言いたくなります。

 

*****

☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。

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