新あんこのログ

新あんこのログ

脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

3回目の入院(21)急性期病院のリハビリ@リハビリ室

車いすでトイレや移動が可能になると、リハビリ室へ出向いてのリハビリがようやく始まりました。

この病院のリハビリは、朝のバイタルチェックの際「今日はSTが10時から、PT,OTが連続で13時からね」と、予定された項目と始まる時間が教えられるだけでした。

そのため、どれに何分くらい行っていたのか分からないのですが、恐らくそれぞれ40分(2単位)が基準だったように思います。

 

基本的に、時間になると看護師さんが連れて行ってくれ、終わると迎えに来てくれます。

夫がお見舞いに来ているときに「私が連れて行きます」というと、「すみません。お願いします」という感じで、忙しい看護師さんとしては、家族が出来るならお願いしたい感じでした。

 

少し慣れてきて、カニューレもスピーチカニューレになり、声を出せるようになった頃。

時間になっても看護師さんが来ないとき、部屋からナースステーションの方を覗くと気が付いて「あ! リハビリの時間だよね。今行くから待ってて」と言われましたが、「自分で行ってもいいなら、自分で行けるよー」と言うと、「ほんとに? 大丈夫??」と言われて、NGではなさそうなので「大丈夫!」と言い終わるより早く背中を向けて、エレベーターに向かいました。

何度かそうやって一人で行くと、特に断りなく一人で行って良い感じになっていました。

 

リハビリ室に行くようになっても、まだ嚥下が弱く唾が飲み込めなかったので、膝に箱ティッシュを載せて行きました。

 

 

<PT>

この病院は1つのフロアに大部屋(4人)が約20室、個室も20室くらいある大きめな病院ですが、リハビリテーション科はその半分を使っており、PT室は広々していました。平行棒は何本もあり、ベッドもずらりと並んでいました。後から入院したリハビリ病院のリハビリ室より何倍も広くて立派でした。

 

PTでは、相変わらずベッドでやっていたマッサージから始まりました。

きっちり「イッチニーサンシー……」と数えながら規則正しく同じ回数ずつ行うのは、なんだか古典的で、臨機応変さがないように思いました。

これは私の体が、それぞれの箇所の具合を見る以前で、全体を整える程度だったのかもしれません。

 

ほどなく、ピックアップを使った歩行練習が始まりました。

f:id:anko_no_log:20200727014214j:plain

ピックアップ。腕で持ち上げ前に出し、1歩ずつ歩きます。

 

まだ酸素濃度が下がりがちだった私は、指に常時酸素濃度計を付けていて、濃度が96を切ると「ちょっと下がっちゃったら、少し休みましょう」と、休まされました。

ピックアップを初めて使って歩けたときは、いよいよ本格的に歩く練習が始まったと嬉しく思ったのですが、そう思ったのは束の間で、ピックアップを持ち上げて歩くのがきつくて嫌でした。

もともと腕立て伏せも出来ないような腕なので、脚より先に腕が疲れてしまうのです。

車輪があるタイプの歩行器が羨ましかった。

でも私は、一歩ずつが膝が抜けそうなのを抑えて歩を出すので、車輪があるタイプだと体が置いて行かれるから無理、と使わせてもらえませんでした。

上肢にも失調があるので、程良い強さでつかまることが出来ませんから、これもあって難しいのです。今でも車輪のあるものは使えません。

 

後から入院してきた片麻痺の患者さんが、私より遅くリハビリが始まったのに、私より先に平行棒を始めたのも羨ましかった。

そんな私も退院間近な頃、ようやく平行棒を使った歩行練習が始まりました。といっても、後ろにピタッとPTさんが付いて押さえられ、自力だけでは歩けませんでした。

 

リハビリを始めてすぐに、右前腿の痛みが始まりました。筋肉痛ならそのうち治まると思っていましたが、この痛みは未だにあります。

 

<OT>

OTでは文字書き(一から十の漢数字)と、タオルを使ってテーブルを拭いたり、生地の感触を指先で感じる訓練をしました。

掌を浮かせて、指先だけをテーブルで滑らせる訓練はたくさんしました。揺れの激しい左手は揺れてしまい、スムーズに動かせません。

 

「普段は意識していないんだけど、人間の体ってすごいね。微妙な力加減でテーブルを上から押さえながらも前に進む作業を、それぞれの指が、違う力加減でやってるんだよ。それを意識的にやろうと思えば、そりゃ難しくて当然だよ」

と言われ、納得しました。

この動画の最後の動きです。約一年後なので最初よりはマシになっている。今はもう少しマシかな。

 

 

 一番「それらしい」訓練だったのはカップを積み重ねる訓練でしたが、最初は揺れてしまってなかなか重ならないし、そのうち腕が疲れてきて余計に揺れていました。

f:id:anko_no_log:20200727014325p:plain



文字書きは最初はやっていたのですが、脳出血が再発すると(リハビリ病院に転院する直前に再出血したんです…)、揺れがひどくなり、文字を書く訓練はやめました。

 

ほかに棒状にした粘土に手の小指側面を載せて、力をかけず揺れないように意識しながら、粘土を潰すのをやりました。

 *粘土とはセラパテのことです。楽天やアマゾンでも買えます。色で硬さが違うので注意。

 

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

セラパテ / 15-2-2 ソフト(黄色) プロト・ワン 1個 JAN4582183391480
価格:1650円(税込、送料別) (2020/9/1時点)

楽天で購入

 

この担当OTさんは「地道にやっていれば治るものだからね」と言ってくれる人でした。

塗り絵やパズルやパソコンをやっている人が多い中、私の作業は地味で動きの小さなものでした。

カップを重ねるのも、私は下手な方でした。

このOTさんは、私に苦手なのは細かい動きや微妙な力の出力だからと、地味で動きの小さな作業をしてくれたのでしょう。

手首におもりを付けたりしませんでしたし(リハビリ病院では付けさせられた)、「利き手交換」と言わない人でした。

 

<ST>

手術後1ヶ月ほどして、やっとスピーチカニューレに変えてもらえました。

声を出せるようになったものの、構音はひどいし、息も続かない。まずは「ぱーたーかーらー」という、基本をゆっくりから始まりました。

鏡で舌を出して見ると、左側が縮みあがっていて、左右対称ではありませんでした。このせいで、中央に来るはずの舌先が左に寄っています。そりゃ、まともに発音できないはずです。

 

息も続かなくて最初はせいぜい5秒くらい、動揺の「ふるさと」を歌うと、何度も息継ぎして、歌いきるとゼイゼイしていました。

 

嚥下の訓練では、とろみをつけた水を、シリンダーで少しずつ飲む訓練をしました。

水にとろみ粉を入れただけで、かすかに不味いし、「いや、水だから飲めないんじゃない? ゼリーとかのほうが飲みやすいんじゃない?」と思いましたが、そういうものの用意はありませんでした。

ミネラルウォーターを持ってきていいと言われましたが、お茶やジュースはダメ、ゼリーもまだ早いと言われました。

 

うーん……万が一誤嚥したらを考え、水なのかもしれませんが、水分は難しいのだから、ゼリーのほうがいいと思ったんですけどね…

 

そして、左の喉が鈍い私は、頭を左に向けて(左旋回)少しうつむき加減で、飲む訓練をしました。こうすると良く働いていない左側を閉じ、右側だけで飲み下せるので、誤嚥が少ないのだそうです。

たしかにそうなのかもしれませんが、この体勢は不自然で、余計に飲み込みづらく感じました。

 

リハビリをしていくうちに、次第に舌側面の縮み上がりは少なくなり、構音も少しましになりました。

嚥下はいくらか良くなっていきましたが、「1CCを数回」から「2CCを何度も」になった程度で、まだ実用は出来ませんでした。

 

*****

☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。

以下、2つ、それぞれクリックしていただけると、ブログサーチでランキングが上がり、結果的に、検索エンジンGoogleYahoo!)の表示順位が上がります。 この病気の当事者の発信する情報が少ないので検索でなかなか見つかりません。

ご賛同いただけるようなら、お手数ですがクリックしてください。

にほんブログ村 病気ブログ 脳・神経・脊髄の病気へ