新あんこのログ

新あんこのログ

脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

3回目の入院(20)個室を卒業して大部屋へ

細かくは覚えていないのですが、恐らく手術から3週間くらい経った頃、人工呼吸器が外され、次いでモニターも外されました。

モニターで随時監視が必要な状態は脱したのでしょうが、いつでも血圧、酸素濃度、心拍数が確認できるものがなくなって、少し寂しい気もしました。

初期はなにかとアラームが鳴って鬱陶しい思いをしたのですが、モニターを見ていると、鳴らないまでも、頻繁に血圧や酸素濃度等が変化しているのが分かるのです。体に何も変化がないようでも、これらの数値はしょっちゅう変わっているので、健康な時でも、興奮したり、緊張したり、体調が悪い時は、血圧も知らずに大きな変動をしているんだろうな、と思いました。

 

始めベッド周囲には、人工呼吸器の大きな装置、モニター、数種の点滴等が置かれ、場所を取っていましたが、まず人工呼吸器の大きな装置が撤去され、点滴はすべてなくなり、モニターも外されすっきりした、と思ったら、即大部屋へ転居でした。

と言っても個室のすぐ隣で、これまで入ったことがあるナースステーションから離れた大部屋ではなく、大部屋でも重傷な部類の人が入るところだったようです。

病室のほかのベッドの人は、やはり個室から移ってきたばかりの人や発症したばかりでゆめうつつな人、動けるけど高次脳機能障害で勝手な行動が危ない人などでした。

 

f:id:anko_no_log:20200727013133j:plain

個室から大部屋に移れたことは、回復してきたことの大きな指標のように感じ、気持ちが明るくなりました。これからどんどん回復すれば、そのうち退院できるんだと思いました。(その時はまだ、リハビリ病院に行かなければならないとは思っていなかったので)

これまでの経験から、回復すればするほど、行動範囲、出来ることが増えるほど加速度的に回復していたので、今回もそうなると思っていました。

 

個室では、スピーカーから音を出して好き放題音楽を聴いていましたが、大部屋ではもちろん遠慮し、スピーカーは家に持ち帰ってもらいました。

安全帯も付けなくて良くなると、漫画を買ってきてもらって、読み始めました。座り姿勢の維持と首を座らせるためには、ベッドを起こして漫画の読書は、いいリハビリになったようです。

ベッドでスマホからアマゾンに注文。自宅に届き、それを、夫が持ってくる便利。テレビもスマホワンセグで観ていましたし。

f:id:anko_no_log:20200727013237p:plain

 

忘れていましたが、このころにはすでに複視は落ち着いていたようです。寝たきりの頃は、天井のシミも電気も点滴もすべて倍数見えていたのですが、いつのまにか治っていたようです。

ただ未だに、横眼で見たり遠くを見ると二重に見えます。

複視とは違いますが、左目が眩しさや衝撃に弱いのは相変わらずです。眼科で診てもらったのですが、目自体には問題はないということなので、まぶたというか左の顔面の失調の影響かもしれません。

夜、読書灯を付けて漫画を読んでいると、看護師さんは「これだけじゃ暗いでしょ? こっちの方が明るいんだよ」と言って、処置灯をつけてくれました。処置灯なんて、勝手に使ってはいけないと思っていたのですが、看護師さんがつけてくれるようになったので、大いに利用させて頂きました。

 

 

入院生活1か月を過ぎたあたりから、尾てい骨あたりがとても痛くてつらかったです。骨が痛いのか、その上の肉か。ずっと寝ているか座っているかで押し付けている時間が長かったので「うっ血してるんじゃないの? これがひどくなると床ずれなんじゃない?」という夫が見舞いに来るなり、すぐにうつ伏せて「お尻痛い。もんで」とお願いしました。そんなときに看護師さんが来ると恥ずかしかったのですが、そんなことは毎度毎度で慣れてしまうほど、この病院を退院するまで痛かったです。

ある日看護師さんは「そうだ! いいものがある」と言って、車いす用の低反発クッションを持ってきてくれて、座っているときに敷いていましたが、やはり時間が経つと痛くなりました。リハビリ病院に行って、毎日歩くようになってからは痛くなくなりましたので、やはり寝っぱなし座りっぱなしが良くなかったようです。

 

大部屋にいたのは1か月ちょっと。皆、私より先に退院(もしくは転院)していきますので、たくさんの人を見送りました。

 

急性期病院の脳外科にしては、私は長い入院患者だったのでしょうし、こちらもある意味、(嫌でも)住んでるような気分になってきます。

看護師さんの誰もが、ほぼ2~3日に一度は担当している感じでしたから、引継ぎするまでもなく、ほぼ状態を理解していたようで(というかある程度回復してからはあまり変化なしでした)、看護師さんの方から「そろそろトイレじゃないかと思ってきたんだけど、どう?」と聞きにきてくれたり(私はだいたい、起床時、お昼前、15時前後、夕飯前、消灯前に行っていました)、「漫画好きでしょ? これも良かったら読んで」と、デイルームから、いろいろな本を持ってきてくれたりしました。

 

思い出してみると、やはり看護師さんって優しい。

当時は嫌なことやムカつくこともたくさんあったはずですが、思い出されることは、良い思い出が多いです。

 

*****

☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。

以下、2つ、それぞれクリックしていただけると、ブログサーチでランキングが上がり、結果的に、検索エンジンGoogleYahoo!)の表示順位が上がります。 この病気の当事者の発信する情報が少ないので検索でなかなか見つかりません。

ご賛同いただけるようなら、お手数ですがクリックしてください。

にほんブログ村 病気ブログ 脳・神経・脊髄の病気へ