医者は最悪を言うし、治ると断言しないもの
脳出血や脳梗塞では、緊急の手術が必要な場合が多く、その前に医師の立場で「手術すれば救命(または回復)できます」とか、「今は意識ありませんがリハビリ次第では回復します」……などの予後について最善の見通し(だけを)言ってくれることはないです。
前向きな確定的な見通しを言えば、そうならなかったとき、すごく責めたり裁判沙汰にする遺族や家族もいるだろうし「最悪な状態になること」は実際あり得ることだから、それは必ず言っておいて、覚悟を決めさせるのは当然の成り行きだと思います。
ここからは医師の性格でしょうが「最悪だけ言う人」と「最悪になりそうだけど、かなり回復する人もいると両方言う人」もいるし、担当医次第なところもあります。
そもそも医師は後遺症を治療する人ではありません。脳疾患の元凶を治療し落ち着いたら、リハビリの専門家に橋渡しします。
中には予後の後遺症部分も熱心に勉強、研究している人もいるでしょうが、知る限り、私の知っている複数の脳外科医でリハビリを詳細に理解している医師はいませんでした。
だから、前向きな確定的なことは余計に言えないのだと思います。
ただ、世の中には情報が溢れていて「数年意識なかったのに突然意識が回復、その後リハビリに励んで今ここまで回復した」ような奇跡的な話もたくさんある。
ここからは実話なので少しフェイクを混ぜて書きます。
子供の頃からの長い付き合いの友人がいます。少し価値観が変わっているというか、少なくとも私とは価値観がまるで違う部分がよくあり、昔から気付いていましたが、お互い相手の価値観を尊重するというか、自分の価値観を押し付けないので、日常お付き合いする分には、気の合う友人です。
私が入院、手術した時にも、友人の中でもその人にだけは連絡しました。ただ、これまでの何度かの入院の時もそうでしたが、お見舞いは拒絶していました。
その人に限らず、私は自分の弱っている姿を知り合いに絶対見せたくないからです。
その人のお母様が最近亡くなりました。
むしろ同年代の中では健康なくらいの方でその日も変わったところはなかったのですが、買い物中に突然脳卒中で倒れ、連絡があったそうです。
家族で病院に駆けつけ、手術を問われたそうですが断ったそうです。やはり上記の通り「一命はとりとめるかもしれないけど重度の後遺症が残る可能性が高い」と言われたそうです。
その後容態は悪化し、再度医師に「手術(救命のため)はしないか」と聞かれたそうですが断ったそうです。
「手術を断るのはものすごく辛いことだった。でも重い後遺症で母が苦しみ続けるのはかわいそうだし、実際家庭事情から言って、重度障害の母を介護できる状況じゃない」
と、友人は言い、正直私は一瞬何も言えないほど驚いてしまいました。
救命できたかもしれないのに、手術を断った。
それはつまり、同じことをされていたら、私も今頃はとっくに死んでいたということです。
リハビリ病院やデイサービスには、同じように「生きるか死ぬかの状態だった」という方はいっぱいいます。
重い後遺症で実際寝たきりになる方もいますが、片麻痺でも杖なしで歩けるまで回復する人もいます。
その友人もそういうことは世に溢れる情報で知っているでしょうし、私の経過も見てはいませんが知っています。それでも手術を断ったのです。
私は自分の意識不明になる前の容態がひどく悪い様子や術後のみじめな姿を見せたくなくて、術後初めてその友人に会ったのは、リハビリ病院を退院したあとでした。
経過は都度、細かく夫からその友人に話していましたし、とても心配してくれて何度もお見舞いを申し出てくれたり、見舞い品を送ってきてくれたりしていました。
もしその友人が、術前から手術直後、その後のリハビリ病院での様子など、私の変化を見ていれば、手術を断らなかったかもしれない、と感じました。
世に溢れる情報をどれだけ知っていようと、私の経過を細かく知っていようと、それらは目の当たりにしたことはないから、もしかしたら実感していなかったのかもしれません。
その友人の兄のお義父さんは認知症で、暴言、暴力、徘徊、弄便等をする、介護する側にとってはとても大変な状態で、友人はその話を頻繁に聞いているし、実際見てもいます。兄の家庭ではみんなぼろぼろに疲れ切っているそうです。
「一命をとりとめても重度の障害になるかもしれない」と説明されたとき、「介護=とてもたいへん」という身近でよく聞き、目にもするイメージが先行したのではないかと思います。
だから今は「残った父が認知症になったら」という心配が強く、「手術を断るのはすごく辛かったけど、ああ選択するしかなかった」と言います。
確かに、最悪の状態も考えられますし、脳疾患から認知症になったりする場合もあるようですし、高次脳機能障害でも特に手のかかる障害が残れば、やはり介護はたいへんだったと思います。
だけど、私やリハビリ病院、デイサービスで見る後遺症を持つ人たちは、たしかに障害者認定されていますし、介助を必要としていますが、友人兄のお義父さんのようなたいへんさまではありません。
介助する側はそれでさえたいへんなのも分かっていますし、私含め後遺症を持っている人は「自分で出来たら」「なにをするにも人の手を借りないと出来ない」とそれはそれで、辛く思っています。
「もしかしたら、かなり回復する最善の状態まで戻るかもしれない」と一縷の望みをかけて手術に踏み切れなかったのは、やはり身近で目にしているものが先行するのかな、と思いました。
「私もあなたのお母さんと同じ状態だったんだよ。脳卒中の人にはこういう人は多いよ。手術してここまで回復すれば、介護だってお兄さんの家で起こっているほど大変じゃなかったんだよ」と思いますが、手術を断ったことは相当辛かったと思いますし、今後も心残りはあるでしょうから、今後も言うつもりはないです。
しかし、もしご家族がそういう状態で手術をするかどうか決めなければいけないとき、どう決めるのもそれぞれの人の価値観ですし、重度の障害もありえるので「とにかく救命の手術して」とは言えませんが、こういうこともある(かなり回復)とご一考いただければと思います。
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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。
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