新あんこのログ

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脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

3回目の入院(13)母の面会 / 衝撃のリハビリ病院へのススメ

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初めての入院からずっとそうなのですが、友人や同僚のお見舞いは固く辞退しています。

お風呂に入れていないとか化粧をしていないという見た目も、単純に人に会える姿ではないという気持ちですが、なにより痩せてやつれていかにも病気っぽい姿、つまり、自分の弱っている姿や、ろれつが回らないとか、ちゃんと歩けないなどの後遺症が表れている様子を見られたくないのです。

 

後者に関しては家族や親せきでも見せたくなく、初めての入院から一貫して「見舞いに来ないで」と言っています。

しかし、母にしてみれば、放っておけるわけもなく毎回やってくるのです。

今回はカーテンを恐る恐る開いて私を見るなり「あら? 違うわ」と言って出て行ってしまい、一緒に来た弟が「え? ここだよ」と、カーテンを少し開いて私を見ます。「ほら、姉さんだよ」という弟に、母はまた顔を出しますが「えー。違うよ」とまた出て行こうとしたところを、後から到着した夫に「お義母さん、ここだよ」と言われ、「えぇ~……?」と言ってまじまじと私を見ます。

手術後の顔の腫れが引いてない私は、どうやらかなり人相が変わっていたようです。

そして母は、体のあちこちからチューブが出ていて、モニターや人工呼吸器に繋がれ、ベッドに拘束されたしゃべれない娘(私)に、

 

――なんで来たのよ――

 

睨まれることになります。

 

母は娘の様子を見るだけで泣きそうになっていますが、娘はむしろ、心外だという様子でふてくされます。

そのころは、まだ頭も動かせず、やや左向きになっていたのですが、母は右側に立ちます。左を向いている娘を覗きこむように見ますから、

 

――そっち向けないから、こっち(左側)に来て――

 

と柵に繋がれた手を動かして誘導します。

私のやっていることが分からないでいる母に、夫が「お母さん、あんこちゃんは、今そっちむけないんだよ。こっちに来て」と通訳してくれます。母はそそくさと移動しますが、目を合わせられたとはいえ、話しかけても声を出して答えられない娘を前に、どうしたらいいか分からない様子です。

 

「お義母さんだって心配なんだ。そんな怒るなよ」

 

と夫にたしなめられる俺様な私は、

 

――まったくもう……まあ、座りなさいよ。面会用のいすが外にあるから―

 

とぶつぶつ口を動かしながら、部屋の外を指さし、夫がなんとか理解して椅子をもってきて座ります。

 

座ってなんとかお見舞い体制が整っても、私本人は話せませんし、夫が現在の状況やこれまでの様子などを説明します。

それを聞きながら、私をチラチラと見ますが、やはりどう接したらいいか分からない様子。

結局、一通りの説明(すでに電話連絡で聞いてるはずの)を聞いて、2,30分で帰っていきました。

 

 

その後も頻繁に母から夫に電話が入り、今の状況や、今後どうなるのか? を聞いてきたそうです。

同じことを何度も聞かれるので、もう一度来て、先生から直接、説明を受ければいい、ということになりました。

 

医師の説明を聞きに母が訪れたとき、私は大部屋に移っており、頭のチューブやモニター、人工呼吸器はすでに外され、手術後の顔のむくみも引いていたので、大分、良くなったように見えたようです。

私も、夫などの家族の面会時は手首の安全帯を外していいことになっていたので、夫が母を連れてくるなり

 

――これ! 外してって言ってきて――

 

と、手首をガチャガチャさせました。

 

医師の説明は面談室で聞くのですが、医師は私も車いすで参加したらいいというので、私も行きました。

説明はほとんど、すでに私が知っていることでした。

 

 ・病巣は取り切れなかったが、手術は当初の予定通りだった

 ・セカンドオピニオンももちろんいいが、これ以上の手術は自分なら勧めない(危険な)ものだ

 ・嚥下障害が強く出ている。治る可能性はあるが長期化しそうだ

 ・長期にわたり嚥下障害の改善が見られない場合は胃ろうもある

 

夫は病巣を取り切れなかった(再発の可能性がある)ことを残念に思っており、セカンドオピニオンに相談して、取り去ることを希望していました。

気管切開がされ喉にカニューレが刺さり、鼻には経管栄養のチューブが入っている姿が、母にはとても気になっていたようで、嚥下の回復の見込みがあるか聞いていました。

 

そして先生は、初めてリハビリ病院の転院の話もしました。

 

 ・軽度ではない私の状態では、リハビリ病院でリハビリをすることを勧める。

 ・期間は2,3か月から半年。半年と言っても、制限の期限なだけで、半年で回復するとも限らない。

 

え? 1か月入院しているだけでも苦痛だったのに、さらに? しかもここにいるより長く?

リハビリ病院……前に入院していたときの同室の人が行くって言ってたけど、慎重な人が完全に回復するために「行きたければ行く」ところだと思っていた。

 

夫も想定外だったようで

「リハビリ病院に転院するべきなんですか? ここでリハビリを続けるのは良くないんですか?」

と聞いていました。

「ここのリハビリは、一日数十分で土日祭日は休みですから、リハビリを続けるには、現実的ではないです。リハビリ病院は毎日休みなく、多くの時間を使ってリハビリ主体の入院生活を送れます。但し、発症や手術から2か月以内に入院するという条件があるんですよ。探すなら早速探し始めないと。あちらに行って面談もありますから」

 

退院したら家に帰れると思っていた私には、降ってわいた「災難」のように感じました。この時に説明を受けた何より、それが一番ショックでした。

能天気なのは自認していますが、完全な状態に回復して退院することは、もはや不可能だろうと感じていました。しかし、もう少し嚥下が良くなったら、家でも処置ができるくらいになったら(どんな処置か分からなかったけど、なにかあると楽観していた)退院できる、退院してやる、と思っていたのに、まだ家に戻れないなんて……。

 

 

後日談ですが、リハビリ病院退院後、母に電話しました。構音障害などで聞き取りづらい話し方しか出来ないので、これまで母の電話はすべて夫にでてもらっていましたが、とりあえず通じるだろうとかけてみたのです。

いつものように名乗らず「もしもし、ボケてない?」といきなり聞いたのですが、「え? どちらさま??」「ひどーい! あたし」「え……?」「あんこです! ひどいっ!」「えー……! だって、全然声が違うんだもん。やあだあ……」

元通りではないとはいえ、顔でも声でも名残はあるでしょうに、顔も分からず、声も分からず。

母親なのに。それとも母親だからこそ、娘はこうだ、という思い込みがあるのでしょうか(笑)

 

とりあえず、オレオレ詐欺には引っかかりづらそうなのは安心しました。

 

 

 

** 

ちなみに……

先生が転院を勧めた理由は、説明にあった通りで偽りはなく、当然の指南だと思います。

しかし、急性期病院は3か月の入院を超えると医療報酬が極端に減る(患者の負担額も増えるみたいです)ので、その前に、急性期医療が必要でなければ退院させるのが、今の原則ルールなのだと思います。

これは医療報酬が減るという病院都合だけでなく、そもそもこういう規則が出来たのは、支払い可能な患者を長期入院させることで、安定収入を得ようとする行為を排除する目的からだそうです。

まあ、聞きかじったことだけで書いていますので、正確にはDPC(診断群分類包括評価)で調べてみてください。

 

 

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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。

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