3回めの入院(7)手術後は幻覚だらけ
ICUでの出来事、というか幻覚は、おかしなものばかりです。
幻覚の内容なんて闘病の参考にはなりませんが、はっきり覚えていることと、自分の記録として書いておきます。
そして未だ事実が幻覚だったか判断付きません。おそらく途中までは現実で途中からその関連思考から幻覚になるのかな、とも思っています。
「手術後のことは覚えていない。だれかお見舞いに来たらしいのに覚えていないし、会話もしっかりしていたらしいが覚えがない」
という人もいると思います。
私の場合、ICUで話した医師や看護師さん、夫とのやり取りは全部覚えていますし、その後の入院中も、そのときの会話の続きで話ができました。
意識はクリアだったけれど、痛み止め(モルヒネ系)のせいで、幻覚が入り混じっていたのかなあと思います。
※以下、茶色文字の部分は、幻覚と私が判断しているものです。
病院には新病棟ができ(これは本当)、多くの機能が新病棟に引越中でした。私の病室には、引越のための一時荷物が置かれていました。病院の文化祭のデコレーションのバルーン等が天井に浮いてたり、事務デスクが運び込まれたりしていました。
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冷凍保存の巨大な点滴をされていました。乳白色で2キロの米袋くらいの大きさがありました。
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点滴や点滴スタンド等はしゃれたデザインで、ICUは一般病棟と違ってスペシャルだなあと思って見ていました。これは先生が患者に合わせて自分で購入し、あとから病院に請求するシステムでした。
点滴量を調整するようなクリップもなにかのキャラクターになっていて、男の子の患者さんが欲しがってるから譲ってほしいと看護師さんに頼まれました。
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若い看護師さんたちが、新病棟完成記念会の出し物の準備をしていました。AKBをもじったグループを作って、手作り衣装への着替えを、私の部屋に隣接したトイレやシャワールームで行っていて、その楽しげな声が聞こえていました。
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病室のカーテンの向こうは、看護師さんたちの仮眠室になっていました。
夜勤中の看護師さんは、休憩時間にそこでお菓子を食べているようで、パリパリいう音が聞こえてきました。
私の様子を見に来た看護師さんは、私を見守りながらお菓子を食べていました。お菓子の匂いもしました。私は気づかないふりをするべきだと思い、ずっと寝たふりをしていました。
『おっとっと』の匂いがしたので、夜勤ではないとしても、仮眠中などの休憩で、脳外病棟の仲のいい看護師さんが来てくれたんじゃないかな、もしかして本当じゃないかな、と思ったりしています。ICUで飲食する等は許されない気がしますが、ICUの患者はほとんどが意識がないし。
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病室の頭側に通用口があって、日勤の人がそこから帰っていき、夜勤の人がそこから出勤してきました。常にバタバタと人が出入りしていました。
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先生は忙しく、寮にもほとんど帰らず、ICUの空きベッドで寝ることがありました。
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ICUの看護師長と思われる人が業界紙の取材を受けて、設置された機材や決まり事を説明していました。そのときに、私の点滴のアラームが鳴ってしまいましたが、なかなか誰も来てくれません。説明の最中にうるさい音が続いていたので、看護師長が思わず「それ止めて!」と私に言いましたが、ハっとして、自分で止めていました。
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手術を一緒にしてくれた外科の先生と私の担当医が、私の部屋の前でばったり会いました。
外科「この患者さん、もう一度手術しなきゃいけないよね」
担当「え? なんで」
外科「全部摘出できなかったじゃない」
担当「そうだけど、そうなることは説明の上だし、今回の手術としては、この間ので終わりだよ」
外科「えー? 残ってたらまずいんじゃない? 1ヶ月くらい開けて、再手術すべきじゃない?」
担当「しないよ。これ以上取るのは難しいし」
そこへ、見知らぬ先生が混じる。
不明「そもそも、あれ〇〇(専門用語)と違うよね? あれって△△じゃない?」
担当「え!?」
不明「手術後に初めて画像見たんだけどさ、あれ△△だよ」
そこからしばらく話は続くのですが、初発症から今まで数年間、何度もCTやMRIを撮ったのに、複数の医師が間違いに気づかなかった。元はと言えば、今はいない初発症の時の担当医師の見立てから間違っていたという話になります。
今回の手術は難しいものだったうえに、誤診、手術までしてしまったということで、監査役などを呼んでの報告会が私の病室で行われることになりました。
担当医師はその資料を作るために、アマゾンで専門書をたくさん買って、夜になるとICUにある机で勉強していました。
報告会には、現場からは退いたような高齢の医師たちが集まり、夫も家族ということで呼ばれました。しかし、何時間待っても、報告会は始まりませんでした。集まった医師たちは怒って出ていきました。
担当医師一人をやり玉に挙げるような雰囲気になっていたので、私は先生に寛大な措置をというような嘆願書を書き、脳外科の病棟にこっそり持っていきました。看護師さんも擁護派がいましたので、その人に渡しました。
また外来の担当医師である脳外科長にも、外来から回ってお願いに行きました。
誤診等は、ニュースでも報道されるので、病院には報道関係の人がたくさん集まっていました。
手術室は外から見えるようになってて、報道関係者は手術室の様子をテレビカメラに伝えていました。
この誤診騒ぎの幻覚も、しばらく本当のことだと思っていましたので、声が出せるようになったら、夫に伝えなくては、と、ずっと思っていました。
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脳外病棟にいたとき、一番苦手だった看護師さんが月末で辞めました。そのあいさつ回りにICUにも来て、ICUの看護師さんたちに記念品をプレゼントしながら、あいさつしていました。私は「この人、いなくなるんだーよかったー」と思って様子を聞いていました(なんかこれは本当の気がする。だって、その後いなかったし丁度月末だったから)
その看護師さんは、ある看護師さんに「あなたのせいで辞めるようなものなのよ」と捨てセリフを吐いていました。
私の担当医師が「ああ、辞めちゃうの? これまでお疲れ様」と言うと、「お疲れ様どころじゃないですよ!」と、食って掛かっていました。
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自分の見ているものの一部が幻覚だと気付くこともありました。気が付くと家に帰っていることがあり、どうせ幻覚なんだから、と、許されないはずのたばこを吸ったこともありました。ベッドに戻って、たばこの臭いがするのではないかと、ひやひやしました。
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知らない人に何度か、何時間も見られていることがありました。これは脳外科の病棟に移ってもあった体験です。今となっては幻覚の一つと思いますが、場所が場所だけに……
その手のオカルトっぽいのは別で書きます。怖い話、好きな方は読んでください。
それから、入院する前、社内でプレゼンすることになっていたのが出来なかったため、復帰したら、これらの体験を面白おかしく、パワポを使って「私の入院と病院の実態」として部内で発表しようと考えました。
暇なのでスライド一枚一枚の構図、全体の構想などは考えて出来上がっていました。4コマ漫画のようにしたいところは、絵の上手な友人に書いてもらおうと思っていました。
思っていたのは事実なんですが、これを実行するわけないので、これもある意味幻覚だったんだと思います。
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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。
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