3回めの入院(5)手術(骨ってはずして戻せるのね)と幻覚
「もしかして、仕組まれたんじゃないの? 流動食に強い眠剤入れられて意識不明にし、その間に動けないように拘束し、喋れないように人工呼吸器つけられて……だから流動食を勧められた?(点滴には眠剤仕込めないから)」
……なんて考えがわいたのですが、そんなわけないですね。
消極的だった手術を無理矢理やる形にもっていくとは思えないし、そもそも犯罪犯してまでやる価値のある手術とは思えない。
病院は、自分の病院で、できるかぎり、いい意味でも打算的な意味でも、死者を出したくないんですから。
でも一瞬とはいえ、そういう考えが浮かぶくらい、私にはまるで意識不明に至った記憶がないのです。おぼれていた状態と言われても、苦しいとは一度も思わなかったし、手術しなければならないほど、自分が重篤な状態だったと思えない。
意識が飛ぶというのは、こういうものなのでしょうか?
もう一つの邪推。
今後もしばらく流動食が続くのですが、流動食を経管で流している間は、起き上がっています。そうしないと、胃から戻ってきて誤嚥するかもしれないからです。
手術後、散歩に出ることを許された時期ですら、流動食を流した後、外に車いすで散歩に出たら、車いすの揺れだけで、戻ってきたことがあります。
当時の私は、ほとんど寝ていましたから流動食を流し終わった後、しゃっくりを相変わらずしながら、横になった。それで逆流して、夫が説明を受けたように「自分の唾液(本当は流動食)におぼれている状態」になったのではないか、とも考えられます。
だから、担当医が私に「流動食を嫌がっているのに無理に勧めた結果、それで吐いて……」だとしたら大問題ですよね。だから幻覚か現実かは不明な場面で私が聞いた「俺(担当医)はいなかったことにして」という話がされたのでは……
考えられますが、もう言っても仕方がない。
入院中、話せるようになった時、聞いてみようかとも少し考えましたが、当時はリハビリ頑張ればまた良くなると思っていたし、まだしばらくお世話になる入院中に不信感を表し、入院生活が居心地の悪いものになるのも嫌だったので言いませんでした。
もし裁判を起こして勝訴して、まとまった賠償金が入るとしても、元の体は戻って来ません。
というか私は「神の手だからこの程度で済んだ」「経験の浅い執刀医だからこうなってしまった」と考えることはしません。
どういういきさつで、私が意識不明になったのか、手術の出来はどうだったのかは、誰が執刀しても、結果は同じだったと考えています。
手術は翌日の午後から行われました。
呼ばれるのを待っている間、なにを思ったのか、夫がカメラを私に向けました。私は拘束された手首を上げ、ピースサインを作り、出来る限りの笑顔を作りました。もしこれが最後なら、笑顔と明るい姿を残さなきゃ、と思いました。
いよいよ手術の時間となり、先生が来ました。
このあたりから、恐らくほとんどが幻覚です
現実にあったことではないと思われる部分も書きますが、幻覚なんて見ようと思って見られるものではないし、一生その機会さえないのが普通だと思いますので、どんなものかという「一例」として読んでいただければと思います。
そして私は、夢や酔っぱらったときのように忘れてしまわずに、今もはっきり覚えてます。
それに、そのときは現実だと思っていたのです。逆に言えば、なにが現実だったのかが、未だに分からないのです。
多分、常識的な体験は現実にあったことで、現実離れした体験は、幻覚だったのだと思います。
それにしても、なぜ幻覚を見ていたのでしょう?
病状のせいなのか、呼吸器の苦しさを紛らわす意識を飛ばす薬のせいか?
手術後も幻覚を見ていました。痛み止めでモルヒネのような薬を使っていたのですが、そのせいでしょうか?
ICU症候群というのも、幻覚を見ることがあるようです。
※茶色文字の部分は、現実か幻覚か分からない部分です。
ベッドのまま手術室に向かいました。
先生と看護師さんがベッドを押してくれて、夫がついてきました。夫に「頑張れよ」とか声をかけられていましたが、私にはあまり実感がなく、でも、このまま死んでしまうかもしれないんだと ”冷静に” 、というより ”無理矢理に” 考え、夫の手を握りました。
このままお別れかもしれないから、そういうときはそうするものだろうと思いました。
手術室の外側のドアに入り、そこからは先生と看護師さんだけでした。
先生が「大丈夫だからね。僕がしっかりやるから安心して」と励まされました。先生は自信満々で、生き生きしています。そう見せようとしたのかもしれませんが。
――その自信はどこから来るの? この間、難しい手術だって言ってたじゃん――
命を預ける場面で、苦笑いな気分でした。
だけど、技術力がすごくあっても、不安で緊張しながらやるよりは、技術力がイマイチでも、自信満々で落ちついて手術する方がうまくいくのかも、と思いました。
それにこの先生は、少なくとも手術の場数はとてもこなしている。毎日のように脳の手術をしている。案外、大丈夫かも。
――大丈夫だと思おう――
不安なまま人生終えるより、安らかに安心して逝くほうがいい、と思いました。
手術室に入る前に、一緒に担当するという先生方がいらして、挨拶されました。
外科の先生と麻酔科の先生が二人。
外科の先生は、谷原章介似のカッコイイ先生でした。麻酔科の一人は女性で、栗山千明似の美人、もう一人は少し太ったおじさんでした。こんな人たちはいないと思うので、まぎれもなく幻覚のキャスティングだと思いますが、谷原章介も栗山千明も特に興味はなく、一体記憶のどこからキャスティングしていたのか不思議です。
手術室はコンクリートむき出しの床でした。テレビで観るのと全然違う、と思いましたが、手術中に流れ出た血液とかを洗い流すためだろうと思いました。そんなに血液が流れだすことなんて、実際にはないですよね。
全体を見回しても簡素です。普通の部屋に手術台が置いてある程度にしか感じません。先生が「この部屋、もう少しなんとかならないのかね」と言った気がします。部屋の片隅で、事務作業をしている人がいました。そんなわけないですよね。多分、幻覚。
手術台はすごく狭かったです。これは現実かな。ベッドのような寝心地や余裕はなくて、一人横たわったらいっぱいです。
手術台に移動されるとすぐに、麻酔の先生が「これから麻酔の準備しますからね」と言いました。
先生は壁際の台の前で「Windowsで出来るPCはどっちだっけ?」と、聞いていました。脳神経のモニタリングのことだと思いました。これは現実かな?
脳神経のモニタリングは専用の機械があると思い込んでいたので、パソコンのソフトで出来るという発想はありませんでしたから現実のような気がしますが、定かではありません。
先生に「あんこさん、横向ける?」と言われ、狭い手術台で体を横にしました。首の後ろあたりを切ったので、これは現実かもしれません。
麻酔科の先生が「点滴落とし始めましたよ。目を閉じて寝ちゃっていいです」と言われ、どれくらいで効いてくるんだろう、と思いながら目を閉じました。多分1,2,3,4,5くらいしか数えていないと思います。
気が付いたのは、手術室から出るところ、ベッドがガタンとなって目が覚めました。
――え? もう終わったの?
15分くらいしか経ってないような気がしました。
「今日は、一晩ここで寝てね。明日ICUに移動するからね」と連れていかれた場所は、手術室のすぐ横。
半分はクリーニング工場で、病院のリネンなどを洗ったりしています。間違いなく幻覚ですね。
次に気が付いたとき、看護師さんが二人、私を覗きこんでいました。
「目開けた!」
「あんこさん、良かったねえ。手術終わったよ」
「今夜は私たちが夜勤だからね。安心して寝てね」
声を出せないので笑顔で答えると「あ! 笑った!」と言って、喜んでいます。
この二人の看護師さんは、私の好きな看護師さんでした。優しすぎて夢のような気もしますが、待合室で手術が終わるのを待っていた夫に、連絡用のPHSを持ってきてくれたり、何度か様子見に来てくれていたのも、この看護師さんの一人だったそうなので、きっと現実だと思います。
手術は8時間半かかりました。
夫は「病巣を全部取れれば11時間くらい、まったく触れないと判断したら6時間くらい」と、先生に聞いていたそうです。
8時間半という微妙な時間で終了したので「やっぱり、全部は取り切れなかったか」と、がっかりしたそうです。
病巣を完全に取り去ることが難しいのは、初めて発症したときから一貫して言われていることです。病巣が残っている限り、また再発の可能性があります。
ちなみに手術の方法ですが、首の後ろ(延髄あたり)を切って、首の骨を何個かはずし、そこから脳幹(神経がごっそりある)を分け入って病巣のある部分(延髄)に行ったと思います。
最初の入院時、手術するならこうするという方法を聞いていたのですが、そのとおりならこうです。
実際、私の首の後ろを切っていますので、こうした手術をしたのだと思います。
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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。
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