3回めの入院(4)手術までの記憶②トイレ禁止ー酸素吸入ー経管栄養ー意識不明
ずっと、自力で(看護師の見守りはありました)トイレに行っていたのですが、入院して1週間くらい経った頃、ベッドから立ち上がった途端、脚に力が入らず膝が抜け、崩れそうになりました。
トイレは個室内にあって、ベッドから1,2歩の距離だったので、その時はそのままトイレに行きました。
――あーあ、これでもう、トイレに行かせてくれないな……
と悟り、入院以来してなかった大のほうをしました。おむつにするのは出来るだけ避けたかったからです。
トイレから出ると、案の定
「もう、トイレ禁止ね」
と言われました。私はおむつも嫌でしたが、寝たまま出来る便器ではけして出せない経験をしているので
「寝たまま便器は無理です。絶対出ない」
と言いました。おむつも嫌なのは看護師さんも分かっているようで
「でも、そしたらおむつはしないといけないけど……じゃあオシッコは管入れる?」
「うん、そうしてください」
ということで、始めは痛いですが、そのあとトイレの心配のないカテーテルになりました。
担当医師は、2回目の入院時に担当してくださった先生が、そのまま3回目も担当でした。
まだ若いようでしたが、毎日のように手術し、ときには日に2件の手術もこなしていました。
もちろん、診察や夜勤もあります。脳外科という性質上、特になんでしょうが、医師(や看護師)の忙しさやたいへんさは、倒れるんじゃないか? と、こっちが心配するほどです。前の日夜遅くに回診に来て、次の日朝7時には回診に来る。夜勤だったのかな? と思っていると、夕方まだいる姿を見かける。ほんとに、いつ休んでるんだろうと思いました。
話したいことや聞きたいことがあるときに「先生、今日来るかな?」と看護師に聞いて「ごめんねー。今日、先生休みなの」と言われると、残念にも思いますが、「そうかそうか、休み取れてよかったね」と思いました。
先生が見るからに若いので自然とそうなってしまうのか、敬っているつもりなのに、どうしても態度が崩れます。大人が子供に話すような、先生が生徒に話しているというかなんというか――敬語で話してはいるんですけど、上からというか、問い詰めるような感じだったり。また先生も、ついため口みたいになることが、よくありました。
そのせいか、先生は私に対しては、とても甘かったです。看護師さんには毅然と指示出したりしていましたし、夫にも医師らしく?対応していましたが、私に対しては、毅然としてない(笑 それをいいことに、手術前後は、けっこう我儘を言いました。
入院して10日ほど経った頃、それまで点滴で栄養を取っていたのを経管(経鼻)栄養に変えると、看護師さんに言われました。その看護師さんがあまり好きじゃなかったのも手伝い、私は断固拒否しました。
その後、看護師さんが先生に相談したようで、看護師さん二人とともに先生が来ました。
先「あんこさん、点滴だと栄養を取れないんだよ。経管は痛くないし、栄養もちゃんと取れるよ」
私「嫌です。点滴でいいです」
先「だって、どんどん痩せていくじゃない? 点滴では1日1200キロカロリーしか取れないんだよ。流動食なら1800キロカロリー取れるし」
私「嫌です。食べられるようになるまで点滴でいいです」
先「だけど、この(食べられない)状態が、いつまで続くかわかんないんだよ?」
――それこそ、嫌だったのです。食べられない状態が続く、食べられなくなるということが。
流動食をしてしまうと、食べられなくなることを認める気がして、そんな感情だけで嫌がっていました。
それに、これまでの入院で、流動食をつないでいる人を何度か見ました。みんな意識がない状態だったり、あってもかなり重篤な感じの人ばかりでした。
私はそんなに悪いのか? と、認めるのも嫌でした。
私「一時より飲み込めるようになってきた気がするし、もう少ししたら回復してくるかもしれないし」
先「……声が枯れてるね。出しにくい?」
私「声はいい。寝てばかりいるからだと思います。それより、しゃっくりし過ぎで息苦しいの。血圧も高いし。こっちの方が私としては問題なんですけど」
先「息苦しいの? 少し酸素入れる?」
私「そうしてください」
流動食の話は一時中断となり、酸素を入れるための準備がされました。鼻から吸うチューブをしましたが、チューブの臭いがして臭いし、鼻の穴をチューブがいくらか塞ぐので、余計に息苦しくなった気がします。
私「なんか、余計に苦しい気がするんですけど」
先「チューブが邪魔してるんだろうけど、酸素は直接入ってるんだから大丈夫だよ」
私「……(ふてくされている)」
先「ねえ、流動食、試しにしてみようよ。嫌だったらやめていいから。点滴に戻すから。とりあえず、半分だけやってみよう。試しに。ね?」
これは流動食受け入れるまで説得されるな、と思い、承諾しました。1回終わったら「やっぱり嫌。だめ」と言って、点滴に戻してもらうつもりでした。
「流動食するときは、誤ってチューブを抜かないように、安全帯するんですよ。いいですか?」
看護師さんが、手首をベッドの柵にしばる安全帯を見せながら言いました。「いいですか?」なんて同意を求められていますが、もう嫌なんて言わないでよ、という気持ちなのは分かります。同時に、申し訳なさそうにしているのも感じました。
見た瞬間、「やられた」と思いましたが、これ以上、さっきのやるやらないのやり取りをして、手間をかけてはいけないと思いました。
安全帯は流動食同様、意識のない人や重篤な人、または認知症の人しか、つけているのを見たことがありません。私はそんなに悪いのかという気持ちと、そこまで悪くないのに、嚥下ができないためにこんなことを、という嫌な気分でした。
流動食をつながれる前に、安全帯でベッドに拘束されました。想像以上に拘束感が強く、情けない気持ちになりました。閉所恐怖症のようなざわついた気持になり、落ち着いていられません。我慢できず、繋がれた手首を引っ張りましたが、ガツンと柵に固定されていて、余計にみじめな気分になりました。「嫌だ……嫌だ……」と独り言のようにべそべそしながら、ガチャガチャとはずれない手首を引っ張っていました。
全部を流し終わる前に我慢の限界が来て、ナースコールで看護師さんを呼んで「もう嫌です。はずしてください」とお願いしました。流動食生活を続けるならば経管はつけたままにしますが、私は断固として拒否し、外してもらいました。もちろん、安全帯も。
惨めにいじけた気持ちで、止まらないしゃっくりをしながら、寝ていました。
その後――自分ではまったく記憶にないのですが、意識を失っていたそうです。
気が付いたのは、ベッドのまま廊下を移動している時でした。多分、CTを撮りに行った帰りです。
先生と看護師さんがベッドを押していて、何か話していました。
医師「俺いなかったことにしてね」
看護師「わかりました」
私(???)
このときすでに幻覚(このあとたくさん見ます)を見ていたかもしれません。
私の身になにかあったんだな、と思いましたが、先生たちの話は聞こえていないふりをしないといけない気がして、また目をつぶりました。
次に気が付いたのは、部屋で夫の声がしたときです。夕方、お見舞いに来てくれましたが帰ったはずです。目を開けると「起きたか?」と、夫が近づいてきました。何が起こったのか聞こうとしましたが、声が出ません。
夫「呼吸器してるから、今は声出ないんだって」
私は、状況を説明しろ、と目で訴えました。
夫「意識失ってたんだって。電話で呼ばれてきたんだ」
なぜ意識を失ったのかまったく分かりません。それも目で訴えました。
夫「自分の唾液で、おぼれているような状態だったらしいよ。酸素濃度がすごく下がったみたい――明日、手術するって」
私「!!」
何言ってるの? 手術? いやいやいや、違うって。私、そこまで悪くないし、苦しくないし。何かの間違い、っていうか、誤診じゃない? だいたい、ここでは手術できないって言ってたじゃない――
みたいなことを、声が出ないながらも訴えました。夫は何言っているか分からないと言うので、筆記具をよこせと身振りで示し、横になったまま、ノートに文字を書いたのですが、
夫「全然読めないよ」
見せられたノートの文字はぐにゃぐにゃで、たしかに読めません。
もう一度大きく書こうとしていたら、先生が来ました。夫が「何か言おうとしてるんです」と先生に言うと、「なに?」と私に尋ねましたが、そこでなぜか
”もう逃げられない。誤診による手術だろうがなんだろうが、一患者に――声も出せない安全帯で拘束された患者に、人工呼吸器に繋がれた患者に――もうどうすることもできない”
と観念して、書くのをやめ、先生の問いかけにも首を振って「なんでもない」と答えました。
先「出血が大きくなってたんだよ。このまま置いておいたら危険だから、手術するからね。〇〇先生(私の外来担当で脳外科長の先生)も、手術しなさいって言ってたから。大丈夫、僕が元気になれるようにするからね」
――っていうか、つい先日話したときにも、私の手術は難しいからやらないって言ってたじゃん。どの口がそんな自信ありげな発言してるのよ……
手術が難しい件は夫も知っていたので、すでに先生に聞いていたようで
夫「前はこの病院になかったモニタリング機器が今はあるんだって。数年前の発症の時にはなかったけど、今はあるから、それを使うんだって」
「今やってる人工呼吸器は、意識があると苦しいんだって。だから今はね、意識飛ばす薬入れてるんだって」
と説明してくれました。
意識が飛ぶ? どんなふうに? 今でも私は冷静にクリアに思考してると思うんだけど……苦しいのだけ麻痺して分からなくなってるんだろうか?
これで終わりなのかもしれない。生きていたとしても、一生、寝たきりになるかもしれない。
これが私の人生なのかな……
諦めが早い気がしますが、受け入れる気分になりました。
元々、いざとなると開き直る、あきらめが早いところはありますが、多分、意識を飛ばしている薬が効いていて、妙に落ちついていられたのかもしれません。
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☆この記事は2010年代初出のものを身バレ防止のため時期をぼかしてリライトしています。
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